令和4年2月法話「自灯明」

令和4年1月26日

~積み上げてきたことが武器になる(YOASOBI「群青」より)

 寒い日々ですが如何お過ごしでしょうか? 世間では新型コロナウイルス関係の報道などで騒がしいようですが、暦は関係なく移り変わります。これだけ寒くても暦の上では「立春」を迎え、目には見えなくとも「春」の準備は着々と進んでいます。2月15日は三佛忌(降誕会、成道会、涅槃会)と言われるお釈迦様のご縁日のうち「涅槃会」に当たります。お生まれになられた「降誕会」、お悟りをお開きになられた「成道会」そしてお亡くなりになられた「涅槃会」

お釈迦様はお亡くなりになる直前、嘆き悲しむ弟子たちに対して最後の教え「遺教経」の中で「自灯明、法灯明」を説かれました。常にお釈迦様に寄り添い仕えてきた阿難尊者が「師がお亡くなりなった後、私は誰を頼り、何を拠り所とすれば良いのでしょうか」と問うと、お釈迦様は「(他者に頼らず)自己を拠り所とし、法を拠り所とせよ」とおっしゃいました。

20数年前にハリウッド映画でキアヌ・リーヴス主演の「マトリックス」が上演され、この度続編が公開されています。私もこの映画は大好きでしたが、難解であったため、今日までにレンタルや再放送含めて100回近く視聴しました。その中で主演キアヌ・リーヴス演じるネオが信頼を寄せるモーフィアス、彼がある場面で言ったセリフが印象的でした。それは不安を抱えた大勢の人たちを励ます言葉です。「今この場に立っている私は偽りなく(何も)恐れていない。なぜか?信じられないものを信じているからか?違う。それは私が覚えているからだ。~中略~ 私の前(先)にあるものが私を導いたのではなく、わたしが歩んできた道が私を導いたのだ。私たちは生きている!」戦うべき相手は外敵ではなく、己の迷い、不安であり、それと真正面から向かい合ってきた日々は決して裏切らないという内容だった気がします。
わたしたちを導くのはわたしたちほかなりません。灯明とは「輝き」「燃焼」であり、それはわたしたち独自、オリジナルの「こころ」、「いのち」と言い換えることができます。「涅槃」の語源はニルヴァーナといい、直訳は「(煩悩の火を)吹き消す(状態)」です。「いのち」の輝きは消してはなりませんが、自分や自分が積み上げてきたことを迷わす(煩悩の)炎は吹き消した方がよろしいですね。サブタイトルは最近、視聴しました「yoasobi」の「群青」という曲の中の一節です。迷いや不安を抱えながら、自信はないけれど、必死に「好きなこと」に正面から向き合う。それは決して楽なことではないけれど偽りなく正直に生きてきたことが、私たちを未来に導いていく、そういった内容に聞こえました。まさに「自分の人生を自分の歩んできた誠実さを頼りに生きてゆく」さあ、迷い不安もろとも、一息一息呼吸を調えて誠実(頼るべき偽りなき自分)に歩んでまいりましょう。