令和5年1月法話「 修正会 大般若経転読」

~呪い呪われた未来は君がその手で変えてゆくんだ
yoasobi 祝福より 

 謹んで新年のご挨拶を申し上げます。本年も宜しくお願い致します。禅宗寺院では正月の三が日「修正会」と言われるお勤めを厳修します。小さいお寺(吉成寺も)は住職が一人で、大きいお寺は複数の僧侶が大般若経というお経を転読します。

 大般若経転読とは600巻あるお経を10巻、あるいは20巻ほどを1冊ずつ「大般若経第某巻 唐の三蔵法師玄奘訳!」と大声で発声し、左に3回、右に3回、真ん中に3回ずつパラパラと広げ(読経したことにして)「降伏一切大魔最勝成就」と叫び次々と繰り返していく特殊なお勤めです。一般的な仏事に比べて、僧侶の人数が多いほど、賑やかで派手な印象です。ご祈祷とは往々にして、内から力が湧いてきて、こころを元気にするようなお勤めである気がします。元々私たちに備わっている「生きる」力に気づき、それまでの受け身(お客、他人事)だった人生を主体的(主人、自分事)に「転じて」いくことです。

 私が、「主体的」をお話する場合、私自身の半生そのものが「主体的」でなかったことをお話しなければなりません。つまり自分では主体的に思ってなしてきたことが実は「受動的、従属的」であったということです。この事実は出家してから随分経ってから気が付いたことでした。仏教もしくは禅を理解する上で必須の条件があります。それは自らの「苦しみ」(痛み)を認め(受け入れ)、それに対して向き合う(寄り添う)ことです。仏教は他人ではなく自分の「苦しみ」を救う教え(自分の苦しみを救えるから他人を救える)ですから、「苦しみ」から目を逸らさないで、こころとからだで受け止める(ごまかさない)ことがスタートラインとなります。恥ずかしいことですが、形の上ではお寺の住職をさせていただいている私自身が仏教、禅をきちんと理解してなかったのです。この事実(自分の誤り)を認めることに時間がかかったことになります。昨年11月法話でも触れましたが、出家前の私はほとんど苦労せずに、年齢だけ「大人」になりました。「苦労せずに」というより「苦労」から逃げて、もしくは避けて生きてきました。「楽」に生きていくことがスマートであるという、思い込みに縛られて生きてきたのです。その背景には両親の価値観が私に、強く影響を与えていたことが考えられます。昭和初期、戦前生まれの両親は「苦」を避け、忌み嫌う、一般的な高学歴偏重、差別意識が強い傾向にありました。私は小さい頃から、優秀な学歴さえ修めておけば、その先は明るい未来があるという両親の価値観に違和感を覚えていました。しかし周囲も人たちにも同様の空気感があり、今でいう「忖度」をしながら親や周囲の顔色を窺う嫌な子供でした。中学生までは比較的記憶力に自信があった私は学年で上位の成績を修めることができ、高校は両親の希望する進学校に入学することができました。しかし県下の秀才が一堂に会する同校では、私程度の志のない者では太刀打ちできませんでした。うまくいっているときは気が付きませんでしたが、その時、初めて優秀な学校を卒業して、安定した就職をした先に何があるのだろう?という疑問が沸き上がってきたことを思い出します。その後も大した夢も希望も持てないまま、入れる大学に進み、就職しました。公務員になったのも、親が公務員で、公務員就職を希望していたからです。つまり進学も就職も、親の期待に応えたいためであったり、世間の評価が良いからであったりと、生きていく「価値」を自分の外に委ねていたのです。自分の「主体性」を眠らせたまま、親が作り出した「価値観」をおかしいと感じながらも受け入れ、無意識にうちに「従属的に」生きていました。

 しかし、就職して社会人となり、親から自立した頃から少しずつ変化が表れ始めました。市役所勤務では誰もが嫌がる部署に配属されました。また実家の方では生家の後継者不在につき、仕事を辞めて後を継いでほしいとも言われました。この他にも、職場の人間関係、母親との感情的な確執などあって、それまでの自分の価値観では対応できない(思い通りにならない苦しい)ことが次々と起こったのです。ついに「苦」を避け、見て見ぬフリをしてやり過ごすことに限界が訪れました。私を禅宗僧侶へ出家に導いたのは、少なくとも自分(の価値観、主観)に原因(誤り、間違い、敗因)があると私自身が認めたからでした。
「主体的」とは、自分の意志に基づいて行動する意味ですが、そもそも「自分の意志」の「自分」がどうであるかが重要です。私自身の半生は禅僧になった今考えれば、まさに行き詰まるべくして行き詰まったと感じます。私が幸せ(楽)と信じて止まない私の価値観は不幸(苦)への導火線だったのです。自分の作り出した妄想(主観)に縛られ、世間の評価をびくびく気にしながら生きる。自分自身が自分の自由を奪って傀儡(操り人形)となっている、その操り主は自分の価値観であったなんて笑い話にもなりません。

 私が自分の黒歴史から目を逸らさないようになったのは、少しずつですが仏教的(禅的)な「自分」「主体性」を理解し始めたからです。私たち本来の姿は、余計なことを考えさえしなければ、自然に調い、あるべき生き方になってゆくという「無」(外界は内界の投影である)であり「空」(自分という存在は他者との関係性で生じる仮想世界にすぎない)であると毎日お唱えする「般若心経」に教えられています。言い換えると、私たちが日々目にしている(感受している)「現実」は、生まれたときから今までに親や環境(外因)によって練り上げられた自分だけの価値観(主観、思い込み、世界観、パラダイム)の産物「幻、仮想、虚構」であるということです。自分次第でどうにでもなるわけです。一方で私自身の例のように私たちの価値観は時間をかけて醸成されたものである以上、シフトチェンジは時間と工夫(手間)をそれなりに要するという意味(修行の必要性)にもなります。

 私たちは自分の価値観を否定されたとき、反射的に「相手の方が違う」と自分の価値観を守ろうとします。「負け(誤り)を認める」ことができないのです。それは「自分」を否定されたと勘違いしてしまうからではないでしょうか。しかし私たちの価値観(主観)は、必ずしも正しいとは限りません。他者と常に答え合わせをしながら、自分に偏ってないか確認しないと、自分にしか通用しないマイル-ル、つまり幻のようなモノです(色即是空)。そのことにわたしたちはどこかで気づいています。気づきながらも、「負け(誤り)を認める」ことが誰しも「苦しい」(辛い、痛い)のです。旧ソ連の作家ドストエフスキーも「苦しむことも才能である」という言葉を残しています。自分を深く知ろうとすれば、痛みを伴う(苦しい、辛い)ため、避けて通って(見て見ぬふり、蓋をする)しまいます。「才能」とは生まれつきや瞬間的なモノではなく、本物の自由を求める進化、成長の継続意志そのものである気がします。

 「自分はいつも正しい」という主観(価値観)を時には手放し、誤り(負け)を認めないうちは、自分で自分を縛り(呪う)、自由を自ら放棄しているのと変わりません。自分を縛り(呪い)縛られた(呪われた)自分自身を「おかげさま」で自由にしましょう。「自分は正しい、負けない」という荷物を降ろして「自分も間違うこともある、負けることもある」とシフトチェンジ(空即是色)し、独りよがりの思い込みから誰かから必要とされる現実(未来)に変えて(転じて)ゆきませんか?一言申し添えるなら「おかげさま」は誰でも知っています。けれど「おかげさま」を口にしている(やっている、行動している)かが課題です。「知っている」(心)と「やっている」(身)が同時に継続されて初めてルーティンとなります。自らの妄想(一切大魔)に縛られない自由自在な本来の「自分」(最勝成就)に近づき、私も皆様も素晴らしい一年となりますように。