吉成寺 第7世 法眼和尚百五十年遠忌 (平成30年9月20日)

吉成寺縁起

吉成寺は創立年歴等不詳ですが、およそ寛文年間(江戸時代1661年から1673年)と云われています。「出雲郡吉成村」にお寺の起源があるとされておりますが、当時は寺号ばかりの辻堂同然であったようです。同郡富村村にある吉祥寺開山雲梁和尚の弟子、洞庭租達首座が当山開山となり、「長福山 吉成寺」と号して、一寺を建立したのが、始まりです。
雲梁和尚の弟子が当山の開山、二世(圓山義覚禅師)となりますが、後継が途絶えたため、大原郡幡屋(現 島根県雲南市大東町幡屋)の「大用寺」開山鉄柱和尚の弟子、雲嶺智棟禅師を拝請して、中興開山(吉成寺三世)となりました。以降その法系により、今日まで法灯が護持されています。(現住職で十二世)

本堂は天保10年(1839)に再建されたもので、現在(平成31年)180年が経過しています。本尊は「薬師如来坐像」(江戸時代作、安置年歴不詳)で背後には、天保4年に奉納された「千体地蔵」がお祀りされております。

大正6年(1917)には、開山洞庭達和尚200年遠忌に当たり、神奈川県鎌倉市の円覚寺派管長の釋宗演老大師を拝請し、「報恩授戒会」が厳修され、400数十名の檀信徒が、一週間当山にて修行されました。

平成27年(2015)は開山300年遠忌として、京都市妙心寺派霊雲院の則竹周南老大師を「戒師」、京都市相国寺派専門道場の小林玄徳老大師を「唱名師」として、拝請し「報恩授戒会」を厳修させていただきました。この時は40名の檀信徒の方が、二日間、当山で修行され、仏弟子としての「生前戒名」を授かりました。